< 性モラルを堕落させた法人資本主義:その1 >

 

西武も日本テレビもカネボウも……みんな法人格を巧みに利用した自然人の我欲が招いた事件と見なせます。

まさに戦後の日本経済で徒花(あだばな)と咲いた法人資本主義が、ポロポロと落花していく状況です。

そうしたなか11月30日の日本経済新聞で元新日鉄会長、故斉藤英四郎氏の遺産39億円のうち、17億円が長男(元新日鉄常務 ⇒ 元新日鉄子会社社長)によって脱税されていた事件が報じられました。

新日鉄の会長職、経団連会長、経済産業省が所轄の産業構造審議会会長はそれほど裏金の役得が多い名誉職なのでしょうか?

 

新マネー砲談では我が国の資産家は節税・脱税をしない限り財産を残せない、と何度も述べてきました。

そして脱税の仕組は「利益を会社に預託し、非課税のカネを引っ張るかたちのフリンジ・ベネフィットで回収する」と主張してきました。

今回はネクタイ乞食、つまりネクタイ締めて気取っていようが品性は乞食そのもの、という連中の特殊社会を検証してみます。

法人資本主義が崩壊させた性モラルの問題です。

 

ヤクザ、暴力団、ヒモ、その他を介在させない売春、いわゆる援助交際が定着している国は日本だけといわれます。

素人売春を行なう女性の感性にしたがえば、貧困の生み出す奉仕犠牲が売春であり、豊かな生活をクリエートするための行為がエンコーなのだそうです。

少女や主婦たちの身勝手な言い分と呆れるよりも、なぜ素人と売春プロの垣根が低くなったか、という理由を先に考えるべきではないでしょうか。

売春の裾野拡大は先進各国で同時進行中といわれますが、なぜ我が国だけが突出して大流行してしまったのでしょうか。

 

メジャーマスコミでは主に次のような原因が指摘されております。

(1) 戦後の民主主義教育があけすけな性欲衝動を招いた。

(2) マスコミによる興味本位で無節操なセックス記事の大氾濫。

(3) 男女同権意識の浸透が女性を性的抑圧から解放させた。

 

しかしこうした一般的な理由だけでしたら諸外国もさほど変わらないでしょう。もっと我が国独特の原因を究明できないものでしょうか。

「やまとなでしこの貞節は今いずこ!」など十年一日の精神訓話で解決できないホンネの話です。

 

ここで新マネー砲談が性の深淵を純粋論理的な分析としてご紹介しましょう。

 

音楽、絵画、文学、舞踏、芸能……。

芸術家にはパトロンが必要です。古くは貴族や封建諸侯や大金持ちの大商人がパトロンとなりました。

近代ヨーロッパのルネッサンス文化を支えた有力スポンサーはイタリアのメディチ家、江戸時代の歌舞伎役者は大奥の女性、クラッシク音楽はヨーロッパの宮廷貴族といった具合です。

現代の大衆化社会では音楽ファンや劇場の顧客たちが入場料を払うかたちで無名のパトロンとなり、「プロの芸人」を養ってきました。

一方で資本主義の申し子ともいえる法人も、文化芸術の最強スポンサーになってきました。企業メセナや冠コンサートやゴルフの冠コンペなどがその典型例でしょう。

 

以上は原義的な意味でのパトロンですが、これから述べますのは広義のパトロン、女をやしなう旦那衆のことです。その広義のパトロンとしてやはり法人が重要な役割を果たしておりました。

法人といっても法人が行為の主体になるわけではなく、そこに勤務するサラリーマンが会社のカネを使って飲み食いすることが結果的に水商売を庇護するパトロン行為になっていたという、法人の潜在機能を取り上げます。

 

我が国の戦後税制は個人所得に対して峻烈な累進税率を果たし、ピーク時の1983年には88%に至ったほどです。

高率累進課税は金持ちから道楽用の小遣いを奪い取り、代わって富の移転をうけた法人格が、新パトロンの役割を担うかたちとなりました。

累進課税制度が強要した従業員間の賃金平準化は、法人社会において交際費を含むフリンジ・ベネフィット(いわゆる役得、現金給与以外の支給)の加算で補填調整されることになります。

(新マネー砲談;日本的デタラメ会計の背景をご参照ください)

 

この仕組は会社人間のアタマの中に我が家の玄関を一歩出たとたん、あらゆる支出に領収証添付の習性を刷りこみました。

このような法人内における自然人の匿名性、つまり領収証が人格を有する社会は人々の倫理規範を激変させたと考えられます。

 

戦後の水商売で1995年頃まで我が世の春を謳歌した業界はクラブといえましょう。

銀座や赤坂のクラブが大繁盛した理由は、企業の交際費を損金参入できた法人税制に求められます。

財布の中身は5万円しか入っていない大会社の部長さんでも、商談やお得意様接待という営業経費科目で1ヶ月に何百万円もの飲み歩きができました。

さて交際費で社交界をクルージングする法人客は、クラブのママさんや海千山千ホステスに気後れを感じて当然と思われます。

なぜならば双方の関係はサービスの買い手対売り手という利害相反関係になく、お宝を山分けする後ろめたさの共棲関係にあるからです。

どんなに派手に飲んでくれるパトロンであろうと、しょせん貴方はサラリーマン、今の立場を離れたらウチの店なんか来れないのよ、だけど貴方みたいな人がいないと私たちはオマンマが食べれないの……。

 

1960年代以降、映画007シリーズでジェームズ・ボンドは何十回とドライ・マティーニを飲みまくったのですが、我が国に洋酒のカクテル文化は広まりませんでした。

法人資本主義のお品書きはウィスキー水割り一品のみであり、クラブが顧客を囲い込む原点は我が国独特の商慣習といえる、ボトルキープ制度にあったからでしょう。

ホステスは洋酒の知識なんかなくてもウィスキーを注いで水を足せば用は済みましたからね。

 

こうした、名刺の肩書きだけが命綱という虚構のパトロン性をプロに見透かされた屈辱感からでしょう。

宴席マナーが礼儀知らずで性格が非常識であろうと、女子大生ホステスの新規参入は企業人にとって、劣等感を忘れさせる「癒し」の心境だったのではないでしょうか。

「ウッソー!カワイイー!」を連発する素人娘に対し、ホッとさせられることはあっても、根っからのロリコン趣味や助べえ根性の下心は少なかったと思われます。

 

ところで、会話に参加できないまま“聴き上手”を自称してきた素人ホステスたちに、カラオケというトンでもない救世主が登場しました。

カラオケの普及はホステスのアマチュア化と資質低下に絶大なパワーを発揮します。

席に座って酔客のタバコに火をつけ、カラオケの選曲を手伝い、世間話よりもデュエット参加のほうが喜んでもらえる“おしごと”は、マクドナルドやセブンイレブンのアルバイトといくらも変わりません。

水商売の大根役者や大部屋女優が新時代のスター予備軍になってしまったのです。

法人客自身もマイクで熱唱する我が身に、江戸時代の豪商が旦那芸を披露する陶酔感が映ったと想像されます。

 

カラオケが巻き起こした社会的惨禍

ホステスは顧客との会話に登場する社会常識の摂取よりも、新曲マスターを優先する

クラブ専属の「ピアノの先生」を廃業させ、流しのギター弾きを絶滅させた

音楽は聴くものでなく、自ら歌うものという意識が広まった

ファン(素人)がカラオケボックスで歌える易しい歌ばかりがヒットするようになった

自分の歌える歌しか聴かない買わないファンの購買指向は作詞作曲家を堕落させた

音楽業界の売れっ子スターから「プロの歌唱力」という概念を追放した

TVの歌謡番組は少年少女歌手の独擅場となった

メロディーにノリやすい意味不明な英語のフレーズが混入されるようになった

テレビの芸人は楽屋オチを売り物とする素人集団の学芸会と化した

 

あらゆる文化に共通する結論でしょうが、パトロンが自ら支払った対価に注視を怠ったとき、あるいは識見や審美眼を失ったとき、庇護される対象は破滅的なレベルダウンを余儀なくされます。

ここに法人資本主義の匿名性はプロとアマの境界線を引き裂く、モラルハザードの元凶になったとご理解ください。

 

忌憚なく申し上げればクラブやキャバレーと呼ばれる水商売の本質は擬似恋愛であり、擬似売春でもあります。

ウチの店に何回通ってくれたら、飲み代を何十万使ってくれたら、その時点で店外デートを許す暗黙の了解があります。

店外デートをしたときの本番料金だけは自腹をきる良心的なサラリーマンであろうと、擬似恋愛に至る過程、つまり過去の飲み代金は会社に負担させたことになります。

一流クラブではどこの大箱にも花柳界の枕芸者に相当する、特攻隊と呼ばれた即日決済の専門要員がいたほどです。

 

以上の検証で、我が国の水商売における疑似売春マーケットは法人円のいびつな購買力に支えられ、高給にあこがれて素人娘が大量参入してきた、とご理解いただけたでしょう。

これが90年代前半までの状況です。このとき、プロとアマチュアが混在する下地ができ始めたのです。

 

さて、平成不況の今日、交際費カットで法人円を使えなくなったサラリーマンは、どうしたでしょうか。

すなわち株主によるコーポレートガバナンスがじわじわ効き目を発揮しだした新時代です。

六本木のアマンドの交差点に夕方10分ほど突っ立ってみるとすぐにわかります。

 

アマンド前の交差点は待ち合わせの人でいっぱいで、そのため最近の東京では珍しく路上に喫煙コーナーが設置されたほどです。

しかるにアマンドの1階も2階もガラガラ。ところが道路の反対側のファーストキッチンの2階と3階、あるいは50m離れたマクドナルドは満員です。

要するに交際費を使ってクラブのホステスと六本木アマンドで待ち合わせ、そのまま同伴出勤できる法人客が激減したものでしょう。

 

あるいは銀座の飲み屋ビルをご覧ください。

今でも銀座の裏通りには2〜8階まで全て高級クラブという雑居ビルが林立し、袖看板のネオンは酔客を引き込む誘蛾灯と輝いております。

しかしながら法人資本主義の衰退とともに店仕舞いに追い込まれたクラブが相当数あるといわれるのです。

ところが大家さんや他の入居者の深謀遠慮でしょう、次のテナントが入居するまで潰れた店のネオンも点けっ放しにしておくのだそうです。

 

会社は株主のために利益を計上する、という概念がこういった場面に現れてきたと理解されます。

 

ここで冒頭の売春市場論に戻ります。

法人資本主義の衰退、すなわち交際費を頼りとした社用族の落日ぶりは、売春マーケットに大きな影響をあたえました。

そこに新たな市場原理が働き、どうせ自腹を切るなら新品を選ぼう、とユーザーはエンコー市場の女子中高生に注目しはじめたのでしょう。

そもそもエンコ−女子高生は経理部に回すはずの領収証を発行してくれまません。

不思議なことに買い手のニーズが漸増しているにもかかわらず、最近のエンコー単価はジリ貧になっております。

なぜか。

「需要が増えれば単価は上昇する」という経済原理は、開かれた市場にのみ成り立つ公式です。

素人売春(エンコー)は古本業界に喩えれば、稀覯本(きこうぼん)の相対取引に相当したのです。

援助交際マーケットが拡大することにより、売り手も買い手も参加者が激増し、取引にも市場経済原理が働いて商品はリーズナブルな価格帯に収まってきたのでしょう。

つまり最近の価格はジリ貧というよりも、これでやっと適正価格に落ち着いたというわけです。

 

話題になったエンコ―事件(少女売春)

日付

報道された内容

2001.08

神奈川県警署員3人の少女とエンコーを隠蔽が発覚

2003.01

静岡、中学生のエンコー相手から妊娠をタネに550万円脅されて支払

2004.06

栃木、中学校教諭が校内で生徒とエンコー

2004.09

琉球大学教授、16歳に1回13,000円でエンコー

2004.09

大阪、小学校教諭が5ヶ月で50回以上、女子高生5人をエンコー

2004.09

東京、寺の住職が一回3万円で15歳少女とホテルで継続的エンコー

2004.11

中国放送ラジオ営業部社員が16歳と知ってホテルで高校生エンコー

2004.11

東京、歯科医が診療所内で累計70人の少女と一回3万円でエンコー

(各社新聞記事より作成)

 

コーポレートガバナンスの不在が善意のサラリーマン経営陣による経営権の独立性を保証し、戦後40年間の繁栄をもたらした、と賞賛する経済学者もいました。

しかしながら資金使途の不透明性やユーザーの匿名性が、社会に及ぼした負の影響は財界や株式市場だけにとどまらず、女性の生き方やモラルまでも大きく変えたと考えられます。

(続く)